こんにちは、なおきちです。
前回より、わたしの経験した「うつ」についてのお話を何回かに分けてご紹介しています。
第一回目は、わたしの小学校から専門学校生時代についてのお話をしました。
第二回目の今回は、社会人として働き始めたその年に
「うつ状態」と診断されるまでの生活について、お話をしてきたいと思います。
(前回の記事をまだお読みでない方はこちらからどうぞ)
- わたしが”うつ状態”と診断されるまでの生活
もくじ
うつ状態だと診断された社会人一年目、とにかく忙しかった。
専門学校を卒業したわたしは、菓子製造業の会社に就職します。
20歳の時のことでした。
勤務することになった会社は、専門学校時代に一人暮らしをしていたアパートからは遠かったため、引っ越しをしてまた新たに一人暮らしを始めることに。
学生時代と違い、社会人としての生活は慣れないことばかりでした。
一人暮らし自体は学生の時からしていたのでそこまで苦ではなかったのですが、親からの仕送りではなく生活費すべてを自分で働いたお金でやっていかなくてはならない。
それが一番大変だったように思います。
そして菓子製造の担当として配属された職場も、とても大変でした。
職人気質の人たちが多い職場
わたしは調理系の専門学校で製菓も学んでいたため、入社した会社で焼生菓子製造、いわゆるパティシエの部署に自らの希望もあり配属されました。
その部署にはホテルのパティシエ出身の方、ケーキ屋さん経営者だった方、コンクールで賞を受賞した方など、腕のいいパティシエの上司がたくさんいらっしゃったんです。
このような経歴の方々と仕事ができるだなんて、とても貴重な経験ですよね?
ですがヘタレなわたしは最初から怖気づきます。
前回の記事でも少しご紹介しましたが、自分に自信が持てずにいたわたし。
バイトをやっても続かないようなわたしが、このような素晴らしい経歴をお持ちの方々と一緒に仕事をしてもいいのだろうか…
と、すっかり怖気づいてしまったんですね。
我ながら情けないですが、まあ、社会人一年生なんて皆そんなものかもしれません。
「お前何やってんだ!!」
「どこ見てたんだ!!」
「さっさと手を動かせ!!」
はい、とても怖かったです。泣きそうになりましたし、実際泣いたこともあります。(懐かしいな)
とにかく時間厳守な職場だった
デパートやカフェなどに納品するお菓子を製造していたのですが、とにかく時間勝負。
デパートの納品は特に厳しく、午後に売るお菓子を午前11時半までに製造し、納品しなくてはなりません。
そして翌日午前中のお菓子は午後3時までに納品。
焼き菓子や生菓子をいかに効率よく製造し、納めるか。
これを徹底的に教え込まれました。
勤務時間は午前8時半から午後21時頃まで。
12時間労働が当たり前で、さらに新人は仕事が終わった後もケーキに生クリームを塗る練習や、プレートにチョコペンで文字を書く練習なんかもありました。
家に帰ったら寝るだけの生活が続きます。
ホテルや町のお菓子屋さんに就職した同じ学校の友達は
「朝7時から夜22時まで」
なんていう環境で働く子もざらにいたので、わたしはまだ勤務時間が短い方だったように思います。
そして慣れない新しい環境で初めての社会人経験、こんなこともありました。
腱鞘炎にも悩まされた
調理や製菓の仕事をされた方なら共感いただける方も多いかと思いますが、腱鞘炎を患う方が多いんですね。
わたしのやっていた製菓の仕事は、ひとことで言えば肉体労働。
砂糖の袋25kg、小麦粉の袋20kgをひとりで運ぶことも当たり前でしたし、お菓子を焼くときに使う天板という道具もかなり重かったです。
毎日毎日このような重労働を繰り返したわたしも、ご多分に漏れず腱鞘炎になりました。
腱鞘炎って、ただ手が痛いだけではないんです。こんなことでも悩みました。
腱鞘炎を患った方なら、「ああー、わかる」という方も多いのでは。
こうなってしまうと自然と家にこもりがちになり、一人暮らしであるため孤独感はMAX。
引っ越してきたばかりの街なので、友達もいません。
そして次第に、精神的につらくなってきました。
ついに会社に行かれなくなる
職人気質の厳しい職場、そして腱鞘炎。
精神的にも肉体的にも疲れきっていたわたしは、ある朝会社に行かれなくなります。
ベッドからは起きることができたものの、強烈な吐き気と体のだるさに襲われ、出社することが出来ませんでした。
その朝、会社へ「体調不良のため休ませてください」と電話をするのがやっとだった記憶しかありません。
正直その後の数日間、自分がどのように暮らしていたのかすら覚えていないんです。
そしてある朝、実家の母親からわたしの携帯に電話が来ました。
母からの電話。そして精神科へ行くことに。
母から電話が来たのは、わたしが会社へ行かれなくなって5日ほど経った頃でした。
「おーい、元気でやっているかい?仕事はどう?」
なぜこのタイミング?とも思ったのですが、母親の勘だったのでしょうか。
わたしはもう電話口で号泣し、仕事へ行かれなくなったこと、仕事がつらいこと、引っ越したばかりで友達もいなくてつらいこと等をすべて吐き出しました。
「そんなにつらいなら、帰っておいで」
そう言ってくれた母親に感謝です。
そしてその時母親から
「あんた、一回精神科の先生に診てもらった方がいいかもよ。ちょっと、追い詰められているから」
と誠に的確なアドバイスをもらい、精神科を探して受診してみることにしました。
この続きはまた次回にお話しますね。
今回のまとめ
- 社会人一年目はとにかく忙しかった
- 職人気質の職場、結構厳しい先輩もいた
- 重労働の末、腱鞘炎になる
- 次第に家に引きこもるように
- ある朝突然、会社に行かれなくなる
- 母の勧めで、精神科を受診することにした
社会人一年目、本当につらかったですね…
今から思えば、こりゃ「うつ」になっても無理はないなという生活でした。
そして母親からの有難い電話。
この電話がなかったら、どうなっていたんでしょうか。
次回は、いよいよわたしが精神科を受診するお話をお送りしますね。
ではまた。