東日本大震災から10年|人生をふと考えてみたアラフォー独身筆者

筆者のひとりごと

こんにちは、なおきちです。

今日は2021年3月11日。

東日本大震災から10年が経ちました。

ふと、本日のニュースを見て、改めて「震災から10年か…」と。

もう10年。まだ10年。

感じ方は人それぞれでしょう。

今回は東日本大震災から10年が経った今日、わたしが感じたことを書いておこうと思い、自身の備忘録の意味合いも含めて記事にしました。

思いのままに書き連ねたので、お見苦しい箇所もあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。

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【2011.3.11】会社員として働いていたわたし

東日本大震災が発生した2011年3月11日。

当時20代だったわたしは、関東近郊地方で事務職員として会社員勤めをしていました。

直前まで来客があり、お出ししていたコーヒーカップを給湯室で洗い、食器棚に戻そうとしていた時でした。

「地震だ!!」

上司が叫ぶと同時に、グラリと大きな揺れを感じました。

「外へ出たほうがいい!」

「はやく逃げろ!」

と、職場は軽いパニック状態。

慌てて事務所のすぐ裏にある、広い駐車場に避難しました。

(本来ならむやみに走って逃げたりせず、机の下に潜ったりするほうが良かったのかもしれませんが、とにかくその当時はそんなことを考える余裕はまったくありませんでした)

私が勤める会社のある地域は震度4だったと記録がありますが、もっと大きく揺れていたのでは、という感覚を覚えています。

地面がグラグラと波打つように揺れ、何度も何度も揺れが続きました。

ただひたすら怖かったです…。

今までこのような激しい地震は、経験したことがありません。

“これはただ事ではない”と感じ、わたしはあわてて職場のテレビをつけました。

「東北地方で地震」のニュース

テレビをつけたわたしの目に飛び込んできたのは「東北地方で大きな地震があった」というニュースでした。

東北地方から何百キロも離れている私の住む地域でも、こんなに揺れている。

東北地方はどうなっているんだろう…。

報道の現場もかなり混乱していたのでしょう。

詳しい震度や状況が流れてくるまで、少し時間がかかったように思います。

そして少しずつニュースを通じて、東北地方を中心とした地震被害の状況が明らかになっていきます。

凄惨な被害の状況が流れてくるテレビの画面を前にして、わたしはただ呆然とするしかありませんでした。

あの時ほど、「自分の無力さ」を感じたことはありません。

何もできない。

だけど自分はただ、ここに生きている。

この感覚は10年経った今でも、強烈に覚えています。

震災から10年経って思うこと

ちなみに阪神淡路大震災のあった1995年1月17日、わたしは小学生でした。

わたしの住んでいた関東近郊地域は揺れはそこまで大きくなく、朝起きたらNHKのニュースによって、関西地方で大きい地震があったのを知りました。

当時わたしは小学生、そして遠く離れた関西地方で起こった地震ということもあり、完全に「他人事」として震災のニュースを見ていたのを覚えています。

無理もないのかもしれません。

人間ってきっと、身近で起こったニュース以外は、「他人事」「関係ないこと」としてしまうものなのでしょう。

一方、東日本大震災では、震源から遠く離れたわたしの住む地域でも揺れを感じ、恐怖を感じたのも覚えています。

「地震や災害は、いつどこで起きるか分からない」

「他人事ではない」

と、強く感じたのも東日本大震災がきっかけでした。

そして同時に、阪神淡路大震災当時のことも改めて思い出します。

自分の身をもって感じないと完全に他人事としてとらえてしまう、自分の身勝手さ、非力さに失望しました。

人間って、つくづく自己中心的で勝手な生き物なんだなと。

生きていることが「当たり前」ではない

正直言えば、生まれてきてからアラフォーの今まで、「生きているのがしんどい」と思ったことも何度かあります。

「もう生きていたくない」「長生きなんてしたくない」と、実を言えばついこの間もそう思っていました。

でもそれって、ある意味「生きているのが当たり前」だと無意識に感じているからこそ、思ってしまうことなのかもしれません。

ある種の怠惰な考えであり、甘えです。

「東日本大震災から10年」というニュースを目にしてハッとさせられたわたしも、実に浅はかで愚かな人間だと思いますが、「生きていること」は「当たり前」ではないのですよね。

生きたくても生きることが出来なかった人を前にして、「生きていたくない」なんて、とても言えません。

震災で大きな揺れを感じ、怖い思いをしましたが、わたしは幸いにも被害に遭わずに生きています。

それは当たり前のことではなく、とても有難いことなんですよね。

「わたしは与えられた命を今まで無駄使いしていたのかも」と強く反省しました。

「今」を大切にしよう

わたしは有難いことに健康であり、両親もまだ元気です。

友人にも恵まれています。

しかし、明日も同じ状況が続くとは限らない。

この記事を書いている最中にも、何があるかなんてわかりません。

何となく”このままずっと続いている”ような気がしている「今」も、一瞬とて同じ瞬間なんてないんですよね。

過去を悔やんでも仕方ない、未来を嘆いても仕方ない。

「今」を懸命に生きていこうと思った、2021年3月11日でした。

最後になりますが、10年前の3月11日、被害に遭われた皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。

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